相手を思う農業か、自分が良ければいい農業か。

題名がストレート過ぎますかね(笑)

自戒の念も込めて書きます。


毎年、この時期に水路の問題で集落営農について考えることがあります。


江田集落は1本の水路が大動脈になり7件分の水を川から注水しています。


水を入れるタイミングは7世帯だいたい同じ時間帯。


上流から順に水を入れると、下流の世帯は水がほとんど来ません。


去年はこの問題で下流のみなさんに大変なご迷惑をおかけしました。


それぞれ暮らしがあって、仕事もありその中で水を分け与えながら

お米づくりを続けてきています。。


それを自分の利だけみて、水を入れちゃうとどうでしょうか。


田んぼで水が必要な時期、作業は必ず決まっています。

特に、代掻きに水は必要。


代掻きに水量が必要なら、それを段取りして周りとの共存を考えてこそ

一つの作業が成立します。


それを考えきれずに代掻きには水が必要と安直に考えてしまうと

いつまでたっても周りを見ることなく、自分本位の農業でしかありません。


自分たちさえ良ければというのが農業だとしたら

これからの世代は集落の維持が困難になることでしょう(持続可能な社会は不可)


今なんでこの水量になっているのか。

ちゃんと下流まで水の流れを確認できてるのか。

水路をいじったら周りにどんな支障が生じるのか。


同じ水脈で、 水を取り合って我先に溜めようなんて考えてたら

この集落で築かれてきた風景は成り立ちません。


みんながハッピーになるように

気持ちよく水が分け与えられるように。


強いては、使わない水入れずに済む水はしっかり川に戻すことまで

考えきれたら、みんなが感謝すると思うな。


目先に焦りや不安に狩られて動いてたら

上手くいくことも、上手くいかなくなるでしょうー!


もっと一つ一つの作業と、相手を思う余裕を持って

気持ちよく田んぼに携われるよう集落としても

立ち止まる問題かもしれませんね。


川の水は無限ではありません。




エタノホ

徳島県神山町にある江田という小さな集落。 私たちはこの地で1組の夫婦と出会い、田んぼをはじめとした“農”や、美しい棚田の風景を織りなす“くらし”を学び続けています。 「人のくらしが織りなす風景を、これからも受け継いでいきたい」 農を通じた人や地域との交流、そこから得るくらしの知恵や技術。「くらしを耕す」とは、その学びを通じて、“これから”を丁寧に育んでいくという想いを込めています。

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