自助を確立させる

5月はじゅんび、ジュンビ、準備!の月。

4月の田おこしから始まり、5月3日(今年は2日)の祭事を経て、水路を開門します。
そこから月末の田植えまでに代掻きと圃場の補修。


てんてこ舞いです。


自分たちの労力の無さに嫌になることも(笑)


先に断わっておくと、僕らは専業でお米を作っておらず

公民館職員、お花屋さん、高校生の寮母(ハウスマスター)など異なる仕事をしながら

空いた時間にお米を作らせてもらってます。


暮らしの一部に稲作があると御考えください。

 

そこに、エタノホプロジェクトへ興味を持ち、お米作りに参加してくれる仲間もいます。


言い訳にはしたくないので、これ以上は割愛しますができることをできる時間で1年1年経験を重ねてきたのが今の僕たちです。


そんなメンバーが主導になって取り組み始めて早4年。


今までは、仕事が忙しい中できない行程は師匠にお願いし、一部委託(有料)してました。


なので、準備全てを僕らで賄っていたわけじゃありません。


しかし、今年は全行程を自分たちで実施しました。

 

その最中、師匠にこっぴどく怒られたことがあります。

きっかけは、田んぼのスケジュールについて意見が交錯したこと。

自分自身が組んだスケジュールを聞いて、師匠に言われたことが下記の内容です。


(1)「周りのことを考えて、自分が言い訳を吐かないよう今できることを段取りするのが本当の仕事だ」

(2)「水はあるものと考えず、無いものと考え準備をすること」

(3)「この集落で稲作している人の本質(人間性)をしっかり考えなさい」

(4)「なんでもかんでも”頼る”癖をつけるんじゃない。自分でできることを自分で判断できるようにしないで成長なんかできるか!(怒)」

(5)「頼れなくなった時、この取り組みは終わるのか?自分でできたら水がある限り続けられるだろう。続けるためにも、自分たちでできることをしっかり把握せ!(怒)」


お父さんが言いたかったのは、自分たちで責任を持って活動できる積み重ねこそ 
集落の暮らしや、稲作、畑作業、人間関係などに繋がり、

その積み重ねが江田集落そのものだと言いたかったのではと考えています。


そこに活動の大小は関係なく、背伸びせずに続けられる”大きさ”をしっかり
把握しろと言わんばかりに。


話の際、僕もいささか反論しましたが、後日冷静に話を見つめ直すとまだまだ自分が未熟だなと反省が多くありました。


僕らは師匠とお母さんの人柄に惹かれ、二人についていく気持ちで集落に携わっています。

基本その姿勢は変わりません。しかし、二人が年を重ね、田畑の管理維持ができなくなった時、僕らは今の活動を続ける熱量を保てるのか。


そもそもお米を育てる本質的な意義はなんだろと、改めて気付かせてくれる問いかけになりました。


メンバーと話しを共有し、すぐには答えが出てない状況です。


しかし、二人との出会いは核心に置いときながらも、”お米を作る””棚田を守る”の活動目標?をもう少し具体的にしながら社会課題等に寄与できる枠組みに育てていけたらいいよね。


そして、自分たちがしっかり暮らしていける”対価”も必要だよ。


”頼る”こと、”満足”することに溺れることなく


”自分たちが目指す暮らしのあり方”に近づけるよう、チャレンジできる年にしたいと思います。

エタノホ

くらしを耕す 徳島県神山町にある江田という小さな集落。 私たちはこの地で1組の夫婦と出会い、田んぼをはじめとした“農”や、美しい棚田の風景を織りなす“くらし”を学び続けています。 「人のくらしが織りなす風景を、これからも受け継いでいきたい」 農を通じた人や地域との交流、そこから得るくらしの知恵や技術。「くらしを耕す」とは、その学びを通じて、“これから”を丁寧に育んでいくという想いを込めています。

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