作業でなく、理を知る。
2019年2月24日
例年より2ヶ月早いですが、江田集落の水路清掃を行いました。
今年はGWが10連休の為、各々の予定を尊重し早めの対策です(笑)
それでも、この時期の作業は適度に暖かく(暑すぎなかった)
作業がしやすかったので毎年2月の最終週に水路清掃を行おうかなと思ってます。
さて、田んぼに携わる上で一番大事なのが、水(水路)。
水が流れてこないことには稲作をするのが難しいです。
棚田の水路は血管のごとく細い水路が幾つにも分岐していて
単に”水を流すだけ”には程遠い管理が必要です。
特に閑散期には獣害による土砂の流入、水路の欠陥が多くみられ
4月の準備期までに補修が必要。。
その一つが水路清掃となります。
主に、堆積した土砂を除き、水路や隣接する道路を掃除します。
これがとても大変。
その昔は出約で集落のみなさんが清掃に当たっていましたが
近年では、この掃除も2人前後で行なっていたそうです。
重労働のため、体力的に厳しいと聞きます。
僕が5年前、田んぼに関わったとき
不意に水路の水を多く入れたら
当時の大将が「勝手に水路を触るな!」と
怒られたことが思い出として残っています。
その時は、怒られた意味が全くわかりませんでした。
水を入れて何が悪いと逆に憤慨したぐらいです。
それでも年々携わると、集落(稲作に携わる人)にとって
水はかけがえのない財産だと気づきました。
少し大げさかもしれないけど、強ち間違いでもない気がします。
また、人間本位で水を入れるのではなく
使わせていただく水と、川に戻す水を分けて考えている
ことに驚かされたのを覚えています。
100%稲作に使わない。
そんな”財産”を何も知らない若者が
「もっと多く水を入れたい」なんて自己中心的な考えのもと
開門してしまったら、集落のお父さんにしてみたら怒りたくなる
気持ちがとても良くわかりました。。
「移住者は水路に関わらないで。」
悪い気持ちは決してないとおもう中でも
この言葉は僕にとって深く胸に刺さる言葉になりました。
それから5年経った今日。
12人の移住者が江田集落の水路を掃除しました。
「水を流すために水路を清掃する」
この”作業”はとても大切なことだと思いますが
「水を流すことで守られる風景」
「共有財産を分かち合う気持ち」
この”理”こそ水路清掃から感じ、
一人一人が学んでいく大きな意義になるんではないでしょうか。
今日来てくれたみんなにどう映ったか気になります。
しんどい作業をみんなでやるのではなく
しんどくとも楽しい作業をみんなで分かち合う。
江田集落では、そんな時間を大切にして
ここでしかできない”棚田の暮らし”を
繋いで行けたらいいな。
誰一人怪我なく終われたことに感謝して
稲作の第一歩を踏み出せました。
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