11年目に向けて想うこと

江田集落で棚田再生プロジェクトが始まったのが2009年。

(写真:2009年/棚田再生プロジェクトのスタート! NPO法人グリーンバレー拝借)


当時はNPO法人グリーンバレーと民間団体R-styleの共同で

事業がスタートしたと聞いています。


僕が携わり始めたのが2012年の春で、多くの学生さんを率いて

楽しく田植えをしたのをつい最近のように思い返せます。


この活動を契機に、江田集落では棚田再生プロジェクト外の移住者も

田んぼに関わることが許され?多くの人が棚田に足を運んでいきました。


さて、肝心の棚田再生プロジェクトは(笑)

色々ありました。

何度も辞めようと思った。

”間に立つ”という苦しみをこれでもかと言うぐらい

体感した4年間がありました。


このプロジェクトも担当が変わったり、想いがうまく伝わらず多くの人に誤解を招いたり。

特に4年前、このプロジェクトを始めたきっかけとなった祁答院さんと言い争いになり

心底疲弊したのを忘れはしません。


理由も理由だったので、2年前にしっかり誤解を説明し、今では飲みに行ける仲です(笑)


はじめに申し上げておくと、江田集落は誰のものでもなく、江田集落に住む人たちが成り

たせる空間です。想いがあって、担当ごとにやり方が変わるのはしょがないにしろ

それを自分たちの利益や、活動のために”使う”ことは許されるものではない気がします。


捻れ始めた頃は、この”軸”に対して不均衡が起きたのではと

今冷静に考えると分析できました。(当時は能力不足ですいません)

(写真:2012年/僕が初めて田植えをした日。この時も30名ほど来てました)


始めた時の想い、時間が経ち変化する集落の意識、新しく入るメンバーの価値観。

人が交えど、この三つ巴には悩みがつきませんね(笑)


だけど。

このプロジェクトに関わる人はその”使う”を意識せず

集落を中心にした棚田の未来、暮らしの豊かさに触れ

「次の世代に暮らしや習わしを受け継いでいく」

このことに想いを馳せていると確信していますし、その中で動いてる仲間が多いです。

(写真:2016年/大阪、香川、岡山など県外からの参加者が多かった年)


喧嘩できるほど想いのあるメンバーが多岐にわたって入れ替わり立ち替わり携わってくれて

いると思うと、とても幸せなことです!


2016年の振り返り時に、ここは誰のものでもなく、何かの事業の為に動かすのではなく

暮らしに寄り添い、集落の皆さんを敬いながら、次の世代に受け継いで行けるように

自分たちでお米を作れるように時間を使おうと心に決めました(当たり前ですよね!)


師匠の言葉、携わる仲間の助言

みんなの今はきっと未来に繋がるし、年々強まる希望やワクワク感が

お米にもしっかり伝わっている気がします。


改めて、神山町の一つの活動として想いが届けばいいなと思い、文字に起こしてみました。

(写真:2016年/時に楽しく、時に真面目に集落の暮らしと向き合ってます)


しかしながら、ただ棚田再生プロジェクトと意気揚々活動していても

僕らには暮らしも仕事もあり、ボランティアではできません。


小さなお金かもしれないけど

思いと未来へのバトンがしっかりとこもったお金のあり方を

この集落で学び、生み出していきたいと思います。

(僕の担当から、助成金も補助金も使ってません!使うときは考えて使います)


また、年に数枚ずつでも棚田が再生していける力も

”美味しいお米づくり”を通じてみんなで考えていけたら嬉しいです。


美味しいこと、楽しいこと、責任を持つこと。

これらを忘れることなく気持ち新たに

オープンでみんなが楽しめるよう

無理のない運営を継続させていきたいと思います。

この投稿をみて、懐かしいと思った方、久しぶりに田んぼに来たいと思ってくれた方

ぜひ5月26日の田植えにいらしてください。


PS

けどさんもきてね。

エタノホ

くらしを耕す 徳島県神山町にある江田という小さな集落。 私たちはこの地で1組の夫婦と出会い、田んぼをはじめとした“農”や、美しい棚田の風景を織りなす“くらし”を学び続けています。 「人のくらしが織りなす風景を、これからも受け継いでいきたい」 農を通じた人や地域との交流、そこから得るくらしの知恵や技術。「くらしを耕す」とは、その学びを通じて、“これから”を丁寧に育んでいくという想いを込めています。

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